カラマーゾフの兄弟(第5回)
ドストエフスキーの小説は一つの文がとても長いですね。
今回のスキットでは特にそれを感じます。
これはドストエフスキーに限ったことではないのかもしれませんが、
これが生きたロシア語というものなんでしょうかね。
今日のテキストの最初、ひとつの文が8行に渡っています。
こういう場合、たいていは複文なので、
主語、述語だけでなく、接続詞やら挿入語にも注意しながら読んでいく必要がありますね。
今回、特に気になったのが как の使いかたです。
как
さまざまな使い方がりますが、今日のスキットでは、少なくとも、以下の4つの使い方を確認できます。
как = когда ~の時
как вспомним про то
そのことを思い出したら
как = как только ~するやいなや
как усмехнётся, так тотчас же в сердце скажет
笑うやいなや、すぐさま心の中で言うはずです。
Он как вернулся на родину, так и заболел.
彼は故郷に戻るやいなや、病気になった。
как(などの疑問詞) ни +動詞未来形 譲歩(どんなに~だろうと)
как ни будем мы злы,
どんなに僕らが意地悪になっても
Как ни будет трудно, я прочитаю книгу.
どんなに難しくても、私はこの本を読み上げる。
Кто ни придёт, говорите, что меня нет дома.
誰が来ても私は留守だと言ってください。
как どのように
как мы хоронили Илюшу
私たちはイリューシャをどのように埋葬したか
какの使い分け、瞬時にできるようになりたいものです。
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