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2018年6月17日 (日)

ロシア語だけの青春生徒編6章

ミールの教授陣たちもそうそうたるメンバーがいた。

創設者の東一夫先生、東多喜子先生、。。。。。

ソ連の新聞の講読もすることもあった。

例えば、

ベトナム共産党書記長グエン・バン・リン書記長がソ連を訪れた際のゴルバチョフ書記長の歓迎挨拶

東一夫先生の厳しい指導のもと、くじけるどころか、ますますやる気満々になってくる。

この辺が凡人との違いですね。

自由トークでの指導もあった。

そのとき、黒田さんは東一夫先生にミールの歴史を聞く。

(やはり、黒田先生は基本的に歴史好きなんですね。)

東先生は喜んで延々と説明をする。

当初、別の場所で教室を開設していた。

スプートニク・ブームもあり、床が抜けるぐらいのたくさんの生徒がいたそうです。

(ロシア語ブームはこのときが最高潮だったのかもしれませんね。)

そこで、代々木のビルに移ってきたとのことです。

今やロシア語の学習者の数は・・・・・

悲惨な状況になっているのではないかと思います。

東一夫先生はタバコをよく吸う。

何故かと尋ねると、ソ連では娯楽がないからだという。

東先生は、日本人というより、ソ連人に近い人だったようですね。(笑)

東先生からもらった忠告のなかで鮮明に記憶に残っている言葉ある。

研究者になるなら長生きしなければダメですよ、と言ってくださったようです。

詩人なら良い詩を書いて死んでもいいが、

研究者は結果を出すのに時間がかかるから長生きしなければならない。

黒田さんはこれを肝に銘じているようです。

東一夫先生は、2005年に85歳で亡くなられています。

(参考文献)

『ロシア語だけの青春』の構成

プロローグ:東京の真ん中にロシアがあった

第一部 生徒として

 第一章 ヘンな高校生の「入門」

 第二章 笑えない笑い話との格闘

 第三章 一生のバイブルとの出合い

 第四章 途中から参加するドラマ

 第五章 永久凍土と間欠泉

 第六章 拝啓、グエン・バン・リン書記長殿(今日のブログで紹介

第二部 教師として

 第一章 M物産への出張講義

 第二章 22の不幸を笑わない

 第三章 再びヘンな高校生の登場

 第四章 レニングラードからペテルブルクへ

第三部 再び教師として

 第一章 突然の閉校

 第二章 最後の講師として

エピローグ:他のやり方は知らない


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