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2019年1月15日 (火)

「北方領土問題」の原点

いわゆる「北方領土問題」の交渉が難航しているようです。

この問題に関する史実を振り返ります。

東郷和彦さんの解説がとても参考になります。

(以下、日本経済新聞2019年1月15日付け記事より)

 ヤルタ協定(1945年2月、米英ソ間で締結) ・・・これが原点

米国がソ連に対日参戦を要求し、

千島列島がソ連に引き渡されることがこの協定に書かれた。

その結果、ソ連は参戦し、千島列島を占領した。

(もちろん、日本はヤルタ協定の存在すら知らなかった。)

 サンフランシスコ講和条約(1951年締結)

この条約で日本は千島列島を放棄した。

吉田茂首相は、

択捉島と国後島は「千島南部」

色丹島と歯舞群島は「北海道の一部」と言及。

この時点で、

日本は択捉島と国後島は放棄した千島列島に含まれ、

色丹島と歯舞群島は放棄していないと認識していた。

 4島返還に方針転換(1955年以降)

ソ連がサンフランシスコ講和条約に署名しなかったため、

国際法上は北方4島の帰属先も放棄した千島列島の範囲も決まっていなかった。

戦争に関連するすべての問題をソ連との間でやり直す交渉が

1955年以降行われることになった。

1956年に森下国雄外務政務次官が、放棄した千島列島に4島は含まれないと答弁し、

これが政府の公式見解となった。

ソ連側は国後・択捉を領土問題の対象とは認めず、

1956年の日ソ共同宣言には

平和条約締結後の歯舞・色丹の引き渡しのみが規定された。

(主権については記載がない。)

 解決の千載一遇の機会が2度あった

2度とも4島一括ではなく、

国後・択捉と色丹・歯舞を分けて具体的協議にはいろうという案だった。

・1992年(1度目)

ロシア側からの秘密提案で、両政府は明らかにしていないが、

56年宣言に従って、歯舞・色丹の引き渡し協定をまとめるという内容だった。

その後、国後・択捉について協議し、

両方まとまった段階で平和条約を結ぶ案だったが、

日本はこれを受け入れなかった。

・2001年(2度目)

イルクーツクで森喜朗首相がプーチン大統領に提示。

これも、歯舞・色丹の引き渡しと国後・択捉の問題を分けて

同時並行で議論する案だった。

日本側はこの議論を有効に進めることに失敗。

 安倍首相の今回の交渉

「2島+α」か? それともゼロか?

この2つの選択肢を迫られている。

「2島+α」

歯舞・色丹の引き渡し+国後・択捉での共同経済活動

ゼロ

交渉決裂で日本人が島に行けなくなる可能性を含めたゼロ

 東郷さんの結論

まず、国後・択捉と歯舞・色丹の間に国境を確定し、平和条約を結ぶ。

その後、歯舞・色丹の引き渡し協定を結ぶ。

これが残された道だといいます。

実際は、私にはこれすら夢物語のように思えてきます。

何事もそうでしょうが、

一度チャンスを逃せば、彼我の条件も違ってくるので、

同じゲームをもう一度というわけにはいかないと思います。


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北方領土」カテゴリの記事

コメント

日本は、結局、敗戦国なのです。侵略国だったのです。年をとればとるほど、100年、1世紀が短いものだと感じます。歴史上の罪は、そんなに簡単に、許されないからこそ、こうしたことが、上手くいかないのだと思います。島の人たちや、長年の関係者のお気持ちを察すると、辛いですが。 平和裏に、共生していくには、ロシア政府の変わらぬ姿勢に妥協していかないと仕方がないような気がしています。

その通りだと思います。
この現実から出発しなければいけないと思います。
「2島+α」なら上出来だと思いますが、
これすら非常に難しいと思っています。
私たちが生きている間に平和条約やら、領土問題での何らかの決着があるのか?
そんな状況を見ることができるのでしょうか?
残念ながら、・・・。
さらに、
ロシア語が日本での人気の外国語となる日を体験できそうもない気がします。

こんにちは。昨夕、NHK夕方ニュースに東郷氏と石川一洋氏が出演して、両首脳の本気度、今後の見通しを解説されてましたよ。 今朝、会談の結果をウェブニュースで知った私ですが、さすが、プーチン皇帝は、立ち位置、固いですね。もはや、北方領土問題は、終わっているのでしょうか。要は、仲良くですね。

ochayaさん、こんにちは!

NHKニュースに東郷さん、出てましたか。
見逃しました。
ロシアには「北方領土問題」という概念がないみたいですね。
とにかく、
第二次世界戦の結果はもはや覆すことはできないと思います。
70数年前に千島列島は全部取られたんです。
そんな過去の出来事を何を今更といった感じでしょうか。
それでも、ロシアとは仲良くやっていくしかないと思います。

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