天皇と将軍~対立と妥協の連続
鎌倉時代に阿波(徳島)に流されてきた上皇がいました。
土御門(つちみかど)上皇です。
承久の乱での敗者側の配流は、徳島にも関係があるんですね。
С этого времени началась долгая череда конфликтов и компромиссов между двумя властями:императорским двором — императором и придворной аристократией,с одной стороны, и сёгнатом и самураем,с другой.
このときから(源頼朝の権力奪取以後)一方での朝廷 ーすなわち天皇および朝廷貴族と他方での将軍および武士たちとの間の二つの権力間の対立と妥協の連続の長い歴史が始まった。
【語句】
императорский двор 朝廷、皇室
придворная аристократия 朝廷貴族、公家
(参考文献)『実務のロシア語Ⅰ』p.91
朝廷と将軍の最初の大きい対立は、承久の乱(1221年)でしょう。
幕府は天皇を打ち負かしたのです。
勝者の北条義時は3人の上皇を配流しました。
後鳥羽上皇は隠岐に、
順徳上皇は佐渡に、
土御門上皇は土佐に、そして、のちに阿波に移ってきます。
徳島に関係するので、承久の乱は記憶に残っています。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は承久の乱をどのように描くのか興味があります。
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