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ロシアの歴史

2024年1月28日 (日)

ロシアがNATOに加盟すべき(そんな時代もあったのか)

エリツィン時代にはこんな議論もされていたようです。

Россия должна вступить в НАТО. Нужен картель США, России и Европы. Украине даны гарантии безопасности в знак дружбы и добрососедства 30 лет назад об этом говорили Борис Ельцин, Билл Клинтон . Опубликованы документы об их переговорах

ロシアはNATOに加盟すべき。アメリカ合衆国、ロシア、ヨーロッパのカルテルが必要。ウクライナには友好と善隣のしるしとして安全保障が与えられる。30年前にボリス・エリツィンとビル・クリントンはこのように語った。彼らの交渉の関する文書が公表された。

(出典)ロシアの独立系メディア「メドゥーザ」

 

30年前は全く別の時代であったようです。

ソ連崩壊後の混乱の中にあって、こういった議論もされてたんですね。

 

いまや、NATOとロシアは世界大戦の危機をはらんだ危険な関係となっています。

これから30年後のことなんかもまったく想像もできませんね。

 

それよりも、自分自身の生存?のことを心配をしたほうがよさそう?

 

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2024年1月21日 (日)

レーニン没後100周年 今日は記念日ですね

今日(2024年1月21日)」は、ロシア史における重要な記念日です。

ちょうど100年前の今日、レーニンが亡くなっています。

特集記事を組んでいる ロシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞) から拾い読みしましょう。

 

Сто лет назад, 21 января 1924 года не стало Ленина. Его смерть, как великое горе, оплакивала вся страна. Ему соорудили мавзолей и поставили в ХХ веке тысячи памятников по всему миру. Память о Ленине и ленинизме век ХХI стирает практически до основания. 

100年前、1924年1月21日、レーニンは亡くなりました。大きな悲しみとして、彼の死を国中が悼みました。彼のために霊廟が建てられ、20世紀には何千もの記念碑が世界中に建てられました。21世紀はレーニンとレーニン主義の記憶を根こそぎ消し去ろうとしています。

(出典は以下の記事です。)

Ленин и сегодня - Российская газета (rg.ru)

 

また、「同志レーニン」の特集もあります。多くの写真や動画が掲載されてます。

Товарищ Ленин (rg.ru)

ソビエト・ノスタルジーが感じられますね。

 

この記念日にあって、プーチン政権は特に何も言ったり、したりもしないのでしょうかね?

 

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2021年12月 8日 (水)

12月8日は記念日が重なっている

12月8日 二つの重要な記念日があります。

日本にとっては、

80年前のこの日、すなわち1941年12月8日は日本による真珠湾攻撃の日です。

 

ロシアにとっては、

30年前のこの日、すなわち1991年12月8日はソ連消滅が宣言された日です。

主役は、ソ連を構成していたスラブ系の3つの共和国の指導者

ロシアのエリツィン大統領、ウクライナのクラフチュク大統領、ベラルーシのシュシュケヴィッチ最高会議議長

この3人によってベラルーシのベロベーシにある別荘で協定が結ばれました。

ソ連を解消し、独立国家共同体(CIS)を結成する協定が成立しました。

 

あれから30年なんですね。

1990年代のロシアの混乱は相当なものだっと思われます。

今は、まったく別の国へと生まれ変わっているのでしょうか?

今までに2度ロシアに行ったことがありますが、

コロナが落ち着いたら、もう一度ロシアに行ってみたいと思っています。

現在、ロシアではコロナは大変な状況のようです。

さて、いつになったらロシア旅行に行けるのでしょうか?

 

 

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2021年5月 9日 (日)

ドストエフスキー生誕200年だとか

今朝の日経新聞を読んでて、気づきました。

今年は、ドストエフスキー(1821年~1881年)生誕200周年の記念の年です。

文化時評のなかで、それにちなんだ記事が出てました。

二人のロシア文学者のコメントに注目しました。

 

一人は、沼野充義(名古屋外国語大学副学長)さん。

『罪と罰』のなかで、ある感染症のことが取り上げられれているといいます。

この感染症に感染すると、自分だけが正しいと思い込むようになる、らしいのです。

高利貸の老女を殺し、金を奪った青年ラスコーリニコフが流刑地シベリアで見た夢。

今日の社会の分断をも予言してるかのような気もします。

 

もう一人は、亀山郁夫(名古屋外国語大学学長)さん。7月に新著が出版予定のようです。

集英社新書から出版予定の新著の仮題は、『ドストエフスキー 黒い言葉』。

カラマーゾフには「黒く塗られた者」という意味があるようです。

また、黒はロシアの肥沃な大地を示す色だとも述べられています。

その辺も興味があります。

 

ロシア語の学習を少しでも続けいていると、

どうしてもロシア関連の記事が気になってきます。

ロシア語学習のモチベーションアップのひとつにしたいものです。

 

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2021年5月 7日 (金)

5月7日 日露間の重要な条約

5月7日は日露間での重要な記念日です。

1875年5月7日、日本とロシアの間で樺太・千島交換条約が締結されています。

日露両国民が雑居していた樺太をロシア領とし、

千島列島全体を日本領とする条約です。

これを根拠に現在でも日本共産党は全千島の返還を要求しているみたいですね。

北方4島ですら絶望的なのに、夢のまた夢といった感じですね。

 

5月7日はロシアではもうひとつ大きな出来事があるようですね。

2000年5月7日、プーチン大統領が就任しています。

その後、紆余曲折を経ながら、現在も在任中です。

 

更新が滞っていますが、ロシア語学習は続けています。

モチベーションがいまひとつといった感じです。

どうにかしないと・・・・。

 

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2020年2月11日 (火)

日本領土の一部はロシアが第一発見者

今日のロシア語ラジオ講座の入門編でこんな話がありました。

沖縄本島から約400キロ東にある日本領土の一部、南大東島と北大東島についてです。

この島の第一発見者はロシアだったんですね。

ちょっと驚きです。

南北大東島は1820年にロシア船によって発見されたようです。

当時無人島であったこのふたつの島は、そのロシア船の名前「ボロジノ」をとって

острова́ Бородино́( ボロジノ諸島)と名付けられたのです。

ボロジノは、1812年のナポレオン戦争でのモスクワ近郊での「ボロジノの戦い」に由来します。

ロシア人による南北大東島の発見は、

ナポレオンがロシアに攻めてきて8年後のことだったんですね。

南北大東島にそんな歴史的背景があったとは初耳でした。

今回の入門編のシリーズは再放送ですが、

黒岩幸子先生の入門編、おおいに役に立ちます。

前にも一度聞いていたはずですが、聞き逃していたのかもしれませんね

もっと集中して聞かなきゃダメですね(笑)。

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2020年2月 1日 (土)

日本人とロシア人との初めての出会い

日本人とロシア人の初めての出会いはいつだったのでしょう?

奇しくも、最近読んだ2冊の本で確認できました。

その二冊の内容を先にまとめてみると、次のようになります。

 

1696年 大阪出身の商人、伝兵衛(デンベイ)の乗った船がカムチャッカ半島南岸に漂流、難破。現地民の捕虜となる。

1697年 伝兵衛(デンベイ)、ロシア遠征隊を率いたウラジーミル・アトラソフに保護される。

1701年末 伝兵衛(デンベイ)、モスクワに送られる。

1702年1月 伝兵衛(デンベイ)、ピョートル大帝に謁見。

1705年、ピョートル大帝の勅令でロシア初の日本語学校が設立される。伝兵衛(デンベイ)は日本語教師に。

その後、伝兵衛(デンベイ)は日本への帰国を望むも、許されず、ロシア正教に改宗させられ、ロシアの地で没する。



伝兵衛(デンベイ)については、その名前は何度か聞いたことがあったのですが、詳しいことは知りませんでした。



ピョートル大帝に会っていた日本人がいたんですね。

伝兵衛(デンベイ)は ロシア初の日本語教師、

そして、日本人初のロシア正教徒でもあったんですね。

このことが

書かれている2冊の本を紹介します。

まずは、最近読んでいる『日本人が知りたいロシア人の当たり前』の104ページです。

もう一冊は、『NHKラジオ講座テキスト2020年2月号 』の29ページです。

たまたまこの二冊に、伝兵衛(デンベイ)のことが記されていました。

今から320年ほど前、日本人とロシア人がはじめて出会い、付き合いが始まったようですね。

日露交流の歴史の始まりです。

 

実は、私は今、二人の在日ロシア人から別々にグループ学習と個人レッスンを受けているところです。

どちらも月に2回程度なんですけど、生のロシア語の音を聞けて、新しい発見の連続です。

私もささやかながらこれからもロシア人との交流を続けていきたいと思ってます。

 

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2020年1月27日 (月)

ウラジオストクの歴史

NHKのロシア語ラジオ講座の入門編でもウラジオストクがその舞台になっています。

今月号(2020年1月号)で知ったことをまとめてみました。

💢 ウラジオストクの始まり

Владивосток(ウラジオストク)という単語は二つの部分に分解できます。

влади と восток です。

влади は владеть(支配する、所有するの意味)の命令形で、「支配せよ!」の意味

восток は 「東」の意味。

したがって、

Владивосток は「東方を支配せよ」という意味になります。

実際、ウラジオストクの町の歴史は1860年に始まります。

ロシア海軍の輸送船が金閣湾に接岸して、水兵たちが集落を築いたのがその始まりです。

ところで、

支配するという意味がある「ウラジ」のつく都市がロシアにはもう一か所あります。

それが、「ウラジカフカス」

これは現在、ロシア連邦内の北オセチア・アラニア共和国の首都となっています。

こちらも19世紀にはロシア領となっているようです。

「ウラジ」はロシア帝国拡張の歴史とつながっているようですね。

さて、

1860年にできたウラジオストクですが、

1871年にはここがロシア艦隊の拠点となります。

同年、ウラジオストクと長崎の間に海底電線が敷かれました。

現在ではウラジオストク港は冬でも凍結しませんが、当時は凍結していました。

そこで、長崎がロシア艦隊の越冬地となりました。

多くのお金を落としてくれるロシア艦隊に対しては長崎の住民たちは好意的だったようです。

現在でも長崎港の対岸の稲佐村にはロシアの史跡が残っているようです。

1876年 ウラジオストクに日本貿易事務館が創設されます。

1891年 シベリア鉄道の建設が始まる。(全線開通は日露戦争中の1904年)

1899年 東洋学院が創立されます。(これが現在の極東連邦大学の前身です。)

日本語学科もあって実践的な教育が行われていたようです。

そのためこの大学出身者はまもなく始まる日露戦争(1904~1905)に従軍したようです。

1902年 ウラジオストクの日本人居住者は約3000人に増える。

(最高時には6000人の日本人がウラジオストクに住んでいたようです。)

1904~1905 日露戦争

1906年 ウラジオストクと福井県敦賀の間に週2便の定期船が就航します。

1912年5月 与謝野晶子がヨーロッパをめざし敦賀港から出発

与謝野晶子の歌「我が泣けば露西亜乙女来て肩なでぬアリヨル号の白き船室」

現在、極東連邦大学の敷地内には与謝野晶子の記念碑があるとのこと。

これもぜひとも見てみたいものです。

記念碑に刻まれている歌がこれ。

「いざ、天の日は我がために 金の車をきしらせよ」

パリにいる夫、与謝野鉄幹のもとへ向かおうとする晶子の情熱的な歌です。

当時は、シベリア鉄道が日本からヨーロッパへの最短ルートだったんですね。

現在では、ウラジオストクからモスクワまで6泊7日で行けるようです。

 

🚄 シベリア鉄道 

Транссибирская железнодорожная магистраль

ウラジオストクからモスクワまでの距離は9288キロ

それを示す記念碑がウラジオストク駅のホームに立っているらしいですね。

「偉大なるシベリア横断鉄道はここに終わる、モスクワからの距離9288キロメートル」

と書かれているみたいです。

現地に行って、ぜひとも、そのロシア語を確認してみたいと思ってます。

 

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2020年1月18日 (土)

レーニンの好感度、65パーセント

Насколько современные россияне любят Ленина и Сталина?

現代のロシア人はどの程度レーニンやスターリンを愛しているか?(筆者訳)

これが

『日本人が知りたいロシア人の当たり前』p.98のタイトルです。

(参考文献)

ここに興味深いことが書かれています。

По опросам 2016года,Ленину, как человеку, симпатизировало 65 процентов россиян, а неприязнь испытывало лишь 24 процента.

2016年の調査によると、人間としてのレーニンにシンパシーを感じた者はロシア人の65パーセント、嫌悪感を覚えた者はわずかに24パーセントに過ぎなかった。(筆者訳)

レーニンの好感度 65パーセント!

いっとき、プーチンの支持率7割とか言われてましたが、

(今はかなり落ちているようですが。。。)

レーニンさんもそれに負けていません。

人間としての、ということは、政策とは無関係にということなんでしょうか、

社会主義に対する評価とかの詳しいことはわかりませんが、

やはりソ連というかつての強国を建国した立役者という面が大きいような気もします。

この本、ロシア語の勉強に役立つだけでなく、ロシア人の考え方もわかってなかなか面白い本です。

1日1ページずつでも読むことにしたいですね。

 

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2020年1月16日 (木)

今のロシア人のソ連時代への思い

『日本人が知りたいロシア人の当たり前 ロシア語リーディング』P.92を読みました。

参考文献

 

20番目のテーマ「ソ連時代ってどんな時代だったの?」のところです。

(本書は50のテーマで書かれています。)

ソ連時代の歴史的説明の後、最後にこのように書かれていました。

Несмотря на многие недостатки советского строя, многие люди вспоминают советское время с ностальгией брагодаря системе социального обеспечения, высокому уровню образования,уверенности в будущем, относительному материальному благополучию, которое они имели в те годы.

ソヴィエト体制の多くの欠陥にもかかわらず、多くの人々はソヴィエト時代をノスタルジーをもって思い出している。それは、社会保障システム、高い教育水準、未来への確信、人々がその時代に受けていたある程度の物質的な豊かさによるものである。(筆者訳)

😃

一言で言って、これが、ソビエト・ノスタルジー なんですね。

今のロシアの若者にとっては、ロシア革命などどうでもよいものになっているようです。

ロシアで90年代以降に学校教育水準が下がったからとも書かれています。

ロシアでも歴史離れが起こっているようです。

本国ロシアでさえそんな状態ですから日本などにおいてはさらに悲惨な状況になっていると思います。

今の日本の若者の感覚からすると、「ソ連」なんて「江戸時代」ぐらいに遠いものかもしれません(笑)。

だって、彼らが生まれたころには既にソ連なんか存在しませんでしたから。。。

 

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